秋の終わり、冷たい風が吹き抜ける京都の山寺に、私は訪れた。
長い石段を登りきると、門前にある一軒の小さな庵が目に入った。
その庵には、「静庵」という控えめな看板が掲げられていた。
私はその看板を見つめると、過去の記憶がふと蘇った。
若い頃、私はここを訪れ、庵の主であった寂子さんからお灸を据えてもらったことがあった。
寂子さんは年老いた尼僧でありながら、どこか艶やかな美しさを保ち続けていた。
彼女の手は柔らかく、その声には不思議な静けさがあった。
あの日もまた、寒い冬の日だった。
私の心は荒んでいて、過去の後悔や未練に縛られ、まるで生きる希望を見失っていた。
その時、友人の勧めでこの庵を訪れたのだ。
寂子さんは何も言わず、ただ私を迎え入れ、暖かいお茶を差し出してくれた。
「お灸をしてみましょうか」と、彼女は静かに提案した。
私は彼女の言葉に頷き、畳の上に座った。
寂子さんはもぐさを取り出し、小さな火を灯した。
もぐさの香りが漂い始めると、私の心は少しずつ落ち着いていった。
「あなたの心には、まだ癒えていない傷があるようですね」
寂子さんは、私のおへそにそっともぐさを置き、火をつけた。
炎が静かに燃え広がり、じんわりとした熱が体に染み込んでいった。
その瞬間、私は自分の中にあった苦しみが溶け出していくのを感じた。
「お灸は、ただ体を温めるだけではなく、心の冷えをも解かしてくれますよ」
寂子さんの声は、まるで遠い昔の記憶から響いてくるようだった。
その言葉は私の心に深く染み入り、忘れていた感情が甦ってきた。
あの日以来、私は何度もこの庵を訪れた。
寂子さんとの会話やお灸の温もりが、私を支え続けてくれた。
そして、彼女の言葉はいつも優しく、時に厳しく、私の心の道標となった。
しかし、数年前、寂子さんは静かにこの世を去ったと聞いた。
彼女の死は、私にとって大きな喪失だったが、その存在は今でも私の中で生き続けている。
再びこの庵を訪れた私は、寂子さんとの思い出に浸りながら、小さな庭を眺めていた。
庭には落ち葉が積もり、その中にひっそりと咲く一輪の菊の花があった。
その花を見ていると、ふと涙がこぼれ落ちた。
寂子さんとの日々が、まるで昨日のことのように思い出され、心が温かくなるのを感じた。
私は庵の中に入り、畳の上に座った。
もぐさの香りが今でも漂っているように思えた。
私はその香りに包まれながら、静かに目を閉じた。
心の中には、寂子さんの声が聞こえてくる。
「心の傷は、時間と共に癒えていくものです。でも、それがすべて消えるわけではありません。傷跡は、あなたの人生の一部として、ずっと残るもの。大切なのは、その傷跡を受け入れ、共に生きていくことです」
その言葉は、今でも私の中で生き続けている。
寂子さんが教えてくれた温もりとともに、私はこれからも生きていくのだろう。
そして、彼女が残してくれた教えを胸に、心の中の灯を絶やさずに。
外に出ると、冬の冷たい風が吹き抜けた。
しかし、その冷たさの中にも、どこか温かさを感じることができた。
雪がちらほらと舞い始め、静かな冬の景色が広がっていた。
私はその雪の中を歩きながら、寂子さんの面影を胸に抱きしめ、これからの人生を見つめ直していた。
寂子さんが残してくれた言葉と共に、私は再び生きていく。
灰の中に埋もれた温もりが、私を支えてくれるのだろう。
そして、私は再びこの庵を訪れるだろう。
いつかまた、お灸の温もりに包まれながら、寂子さんと語り合うために。