雪が降りしきる中、静子は小さな治療院の扉を静かに開けた。
冬の夕暮れは早く、まだ午後の時間であるにもかかわらず、外はもう薄暗い。
治療院の中は暖かく、静かな灯りが揺れていた。
静子がこの治療院を訪れるようになったのは、数ヶ月前のことだった。
彼女は東京の繁華街から離れたこの片田舎にある治療院を見つけたのは偶然だったが、その時以来、定期的に通うようになっていた。
治療院の奥には、年配の女性が一人で座っていた。
彼女の名前は美智子と言った。
静かで落ち着いた物腰の、白髪の美しい女性だった。
美智子は静子が入ってくるのを見ると、微笑んで迎え入れた。
「今日も寒いですね」と静子が言うと、美智子は静かに頷いた。
「本当に、冬の寒さは体に染みますね。でも、お灸はそんな寒さから体を守るのです。どうぞ、こちらにお座りください」
静子は畳の上に座り、着物の襟を少し緩めた。
美智子は慣れた手つきでお灸の道具を準備し、もぐさを手に取った。
彼女の手がもぐさに火をつけると、小さな炎がじわりと広がった。
「今日は神闕にお灸を据えましょうか」
美智子はそう言って、静子のおへその上にそっともぐさを置いた。
静かに火がついたもぐさからは、わずかな煙が立ち上り、その煙はゆっくりと消えていく。
火がじわじわと燃え広がると、静子はその熱が体の奥深くに染み込んでいくのを感じた。
それは決して熱すぎることはなく、むしろ心地よい温もりだった。
美智子は静かに言った。
「お灸は、ただ体を温めるだけではありません。心の奥底にある冷えも、少しずつ溶かしてくれるのです」
静子は目を閉じ、その言葉を噛み締めた。
確かに、彼女の心には冷えがあった。
東京での生活は忙しく、心が凍りつくような瞬間が何度もあった。
人々との付き合いも表面的で、いつも何かが欠けているような感覚に苛まれていた。
「あなたのお心にも、何か冷たくなってしまった部分があるのでしょうね」と美智子が優しく言った。
静子はその言葉に驚き、目を開けた。
美智子の顔には穏やかな笑みが浮かんでいたが、その目はどこか深く、静子の内面を見透かしているようだった。
「そんなことを言われると、なんだか恥ずかしいです」と静子は少し笑って答えたが、その声はどこかかすかに震えていた。
「恥ずかしいことではありませんよ。人は誰でも、心の中に冷たさを抱えているものです。それを温めるのが、お灸の力なのです」
美智子はそう言って、もぐさをそっと取り去った。
もぐさの跡には、ほのかな赤みが残っていたが、それもすぐに消え去った。
静子は再び目を閉じ、その温もりが体に残るのを感じた。
まるで、冷え切った心がゆっくりと解けていくかのようだった。
彼女は美智子に感謝の言葉を述べ、治療院を後にした。
外に出ると、雪はさらに深く降り積もっていた。
静子は着物の襟をきつく締め直し、家路についた。
道の両脇には雪が積もり、足元は滑りやすかったが、その冷たさがかえって彼女の心を澄み切らせた。
家に帰ると、静子は自分の部屋に戻り、鏡の前で着物を脱いだ。
おへその上には、まだ微かにお灸の跡が残っていた。
その跡をそっと指でなぞると、またあの温もりが蘇ってきた。
静子はふと思った。
もしかしたら、この温もりがずっと消えずに、彼女の心の中で生き続けるのではないかと。
そして、その温もりが彼女を支え続け、冷えた心を溶かしてくれるのではないかと。
静かな夜、窓の外にはまだ雪が降り続いていた。
静子はその音を聞きながら、ふかふかの布団にくるまり、目を閉じた。
お灸の温もりが、彼女を優しく包み込み、その夜、静子は深い眠りに落ちていった。