午前十時、街は蒸し暑い空気に包まれていた。
俺は、古びた路地を抜け、目的地に向かって歩いていた。
そこは、知る人ぞ知る温灸師が営む小さな治療院だ。
俺の名前は健二、四十過ぎの男だ。
かつては新宿の一角で腕を振るっていたが、今はその道を外れ、静かな生活を送っている。
ドアを押し開けると、涼しげな風鈴の音が迎えてくれた。
治療院の中は薄暗く、どこか神秘的な雰囲気が漂っていた。
受付に座るのは、年配の女性だった。
彼女は俺を見ると、静かに微笑んだ。
「予約は取ってありますね、佐々木健二さん」
「そうだ」
「では、どうぞこちらへ」
彼女は俺を奥の部屋に案内した。
部屋の中には、年季の入った木製のベッドと温灸の道具が整然と並んでいた。
しばらくすると、施術師が現れた。
彼の名前は藤村、その眼には深い知識と経験が刻まれていた。
「佐々木さん、今日はどうされましたか?」
「肩の痛みがひどくてな。前から気になっていたんだが、最近は特に酷い」
藤村は静かに頷き、手際よく準備を始めた。
「肩の痛みには、温灸がよく効きます。身体の深部から温めることで、血行が良くなり、痛みも和らぎます。」
俺はベッドに横たわり、藤村の指示に従って深呼吸をした。
彼は丁寧に艾を火にかけ、俺の肩に置いた。
じんわりとした温かさが肩から広がり、身体全体に伝わっていくのを感じた。
「佐々木さん、温灸はただの治療ではありません。心と体を整え、全体のバランスを取り戻すためのものです」
藤村の言葉が、俺の心に深く響いた。
この治療院に通うことになったのは、偶然ではなかった。
俺の過去、そして心の奥底に眠る痛みを癒すためだったのかもしれない。
施術が進むにつれて、俺の心は不思議なほど落ち着いていった。
温灸の熱が、身体だけでなく心の奥深くまで染み渡っていくようだった。
俺の過去、血と暴力の中で生きてきた日々が、遠い記憶のように薄れていく。
藤村は静かに作業を続けながら、語りかけてきた。
「佐々木さん、過去を乗り越えるのは難しいことです。しかし、今を生きるためには、それを受け入れ、自分を許すことが必要です」
俺は目を閉じ、藤村の言葉を胸に刻んだ。
温灸の熱が心地よく感じられ、その熱は俺の中で新たな決意を生み出していた。
過去を乗り越え、今を生きるための力が、確かにそこにあった。
治療が終わると、藤村は優しく微笑んだ。
「これで終わりです。佐々木さん、またいつでも来てください」
「ありがとう、藤村さん。また来るよ」
俺は治療院を後にし、蒸し暑い街へと戻った。
肩の痛みは和らぎ、心には新たな希望が宿っていた。
過去の痛みを乗り越え、俺は再び立ち上がることができる。
温灸の熱が俺にそう感じさせていた。
街を歩きながら、俺は未来を見据えた。
新たな一歩を踏み出すために、俺は再び自分を見つめ直す必要がある。
そしてそのためには、この温灸の熱が必要だった。
俺は歩みを進め、未来へと向かっていった。