横浜お灸研究室 関元堂温灸院

横浜市のお灸専門 関元堂温灸院

堕落の温もり

人は何かに依存しなければ生きられない。

 

酒、煙草、女、そしてお灸さえも。

 

その日、俺は一人、薄暗い六畳一間の部屋に閉じこもり、お灸を据える準備をしていた。

 

世間の喧騒から逃れ、この一瞬の温もりに身を委ねることが、今の俺にとって唯一の救いだった。

 

お灸なんてものは、所詮は一時的な快楽に過ぎない。

 

だが、その瞬間だけでも、現実から解放されるならば、それでいい。

 

俺はそんな気持ちで、背中に艾を据え、火をつけた。

 

じんわりと広がる温かさが、冷えた体に沁み渡る。

 

その感覚は、まるで酒に酔いしれる時のような陶酔感を伴っていた。

 

背中に広がる熱は、俺の心の奥底に眠る疲れや苛立ちを溶かし、ほんの少しだけでも平穏をもたらしてくれる。

 

世間の連中は、お灸なんてものを健康法として持ち上げる。

 

だが、俺にとってそれは、ただの逃避手段に過ぎない。

 

現実の苦痛から逃れるための、ささやかな贅沢だ。

 

人は誰しも、そんな逃避を求める生き物なのだ。

 

お灸の煙が立ち昇り、部屋の中に漂う。

 

その香りが、かつての記憶を呼び覚ます。

 

俺の母親も、お灸を据えてくれたことがあった。

 

彼女の手は優しく、温もりに満ちていた。

 

だが、その優しさも、結局は一時のものでしかなかった。

 

お灸の温もりに包まれながら、俺は思った。

 

この一瞬の温もりが、俺の人生の何を変えることができるのだろうか。

 

答えは何も変えやしない。

 

ただ、今この瞬間だけが、俺にとっての現実であり、全てなのだ。

 

人は堕落するために生きる。

 

お灸もその一環に過ぎない。

 

俺はその温もりの中で、自分自身の弱さと向き合い、そしてそれを受け入れる。

 

堕落の中にある温もり、それが俺にとっての真実だ。

 

お灸の熱が冷めると、現実が再び押し寄せてくる。

 

だが、その一瞬だけでも、俺は救われたような気がする。

 

堕落の温もりに包まれながら、俺は今日もまた、生きていく。