夜の帳が降りると、私の部屋は静寂に包まれた。
窓の外には、霞がかった月がぼんやりと浮かび、その光が障子越しに薄く滲んでいる。
私は机の上に置かれた古びたお灸セットを見つめていた。
そこには、母が遺してくれた手書きの説明書と、小さな艾の束があった。
母は昔、よく私にお灸を据えてくれた。
その手際の良さと優しい手つきが、今でも鮮明に記憶に残っている。
しかし、母が逝ってからというもの、お灸のことなどすっかり忘れていた。
今夜、ふと思い立ち、久しぶりにその温もりを求めたのだ。
私は慎重に艾を取り出し、背中に据えるために布団に横たわった。
窓の外の霧が、まるで幽霊のように漂い、その静けさが部屋の中にも広がっていく。
火をつけると、じんわりとした温かさが背中に広がり始めた。
その感覚は、まるで母の手の温もりが再び蘇ったかのようであった。
目を閉じると、過去の記憶が次々と浮かんできた。
母の微笑み、幼い頃の私を抱きしめる手、そしてお灸の香り。
全てが混ざり合い、私の心を満たしていく。
その温もりは、ただの熱ではなく、心の奥底に眠る感情を呼び覚ますものであった。
「お灸は、体と心を結びつけるもの」と、母はよく言っていた。
その言葉の意味が、今ようやく理解できたような気がした。
お灸の温もりが、心の中の冷え切った部分をじんわりと溶かしていく。
その過程で、私は母との絆を再確認し、心の中に温かな灯がともるのを感じた。
霧がますます濃くなる中、私はお灸の温もりに包まれながら、静かに目を閉じた。
その瞬間、遠い昔の記憶が鮮やかによみがえり、まるで夢の中にいるかのような感覚に陥った。
お灸の煙が、幽玄な世界へと私を誘う。
母との再会が、夢と現実の狭間で実現する。
目が覚めると、窓の外には朝の光が差し込んでいた。
霧はすっかり晴れ、清々しい朝が訪れていた。
背中にはまだ温かさが残り、その余韻が私の心を穏やかに包んでいた。
お灸の力は、ただ体を癒すだけでなく、心の奥底にある感情をも癒してくれるのだと実感した。
母が遺してくれたお灸のセット。
その温もりは、時を超えて私を癒し続けてくれる。
お灸の煙が立ち昇るその光景は、まるで母の愛が形となって現れたかのようであった。