深い山間に佇む温泉宿、古びた木造の建物は時の流れを感じさせる。
私は長年の疲れを癒すため、この静かな宿を訪れた。
秋の夜風が冷たく、温泉の湯気が立ち昇る露天風呂に身を沈めると、心の奥底まで温かさが染み渡った。
その夜、私は女将からお灸を勧められた。
彼女の名は美代子、年老いてなお品のある姿が印象的だった。
彼女はこの宿の主として、古くから伝わる療法を守り続けているという。
「お灸は体だけでなく、心も癒します」と美代子は静かに言った。
私はその言葉に興味をそそられ、翌朝、お灸を受けることにした。
美代子は薄暗い部屋に案内し、床の間に据えられた香炉から漂う香りが、心を落ち着かせた。
彼女は手際よく艾を取り出し、小さな円柱に整えた。
「この艾は自家製です。山の中で育てた艾の葉を丁寧に乾燥させ、心を込めて作りました」と美代子は微笑んだ。
彼女は私の背中にお灸を据え、火をつけた。
じんわりと広がる温かさが、次第に全身に浸透していった。
その感覚は、まるで母の手に包まれるような安心感を伴っていた。
「お灸の温もりは、あなたの心の澱を溶かし、清めてくれます」と美代子は静かに語り続けた。
私は目を閉じ、その温かさに身を委ねた。
外からは風に揺れる木々の葉音が聞こえ、その音が心地よい静寂を作り出していた。
お灸の温もりが深く染み渡り、私の心と体は一体となって癒されていくのを感じた。
「この山々は、何百年もの間、人々を見守ってきました。その静けさと共に、お灸の温もりがあなたを癒します」と美代子の声が、優しく響いた。
私はその言葉に導かれ、心の中の静寂と向き合った。
お灸の熱が和らぎ、痛みが消えていくと共に、心の奥底にあった不安や疲れも消えていった。
「ありがとうございました、美代子さん。お灸の力を通じて、自分を見つめ直すことができました」と私は感謝の気持ちを伝えた。
「どういたしまして。またいつでもいらしてください。ここはあなたの心の休息の場ですから」と美代子は穏やかに微笑んだ。
その日、私はお灸の温もりと共に新たな静寂を心に宿し、宿を後にした。山の静けさと共に、心の中に平穏が広がり、再び歩み出す力を得たのだった。