ある晩秋の夕暮れ、私は東京の片隅にある古い町家を訪ねた。
その家の主人、佐々木氏は古き良き時代の医術を受け継ぎ、お灸を施す名人である。
彼の家は風格があり、玄関先には紅葉した木々が美しく揺れていた。
「お久しぶりです、佐々木さん」と私は挨拶した。
佐々木氏は穏やかな笑みを浮かべて迎えてくれた。
彼は私を奥の和室に案内し、座布団をすすめた。
部屋の中には艾の香りが漂い、どこか懐かしい気持ちになった。
「今日はどうされましたか?」と佐々木氏は尋ねた。
「最近、仕事の疲れが溜まっていて、少しお灸をお願いしたくて」と私は答えた。
佐々木氏は頷き、お灸の準備を始めた。
彼の動きはまるで茶道の作法のように優雅で、一つ一つの動作に無駄がなかった。
私はその様子を見ながら、静かに心を落ち着けていった。
「お灸はね、単なる治療法ではないんですよ」と佐々木氏は語り始めた。
「それは心と体を一体として癒すためのものです。艾の香りと温もりが、心の奥底まで届くのです」
彼は丁寧にお灸を据え、火をつけた。
じんわりとした温かさが背中に広がり、その感覚は次第に深く染み込んでいった。
私は目を閉じ、その温もりに身を委ねた。
「この香りが心を落ち着け、温もりが体を癒すのです」と佐々木氏は続けた。
「現代の忙しい生活の中で、こうした時間を持つことがどれだけ大切か、改めて感じます」
私はその言葉に深く共感した。
日々の喧騒の中で、心の静寂を取り戻す時間は貴重だ。
お灸の温もりは、まるで母の手のひらのように優しく、包み込んでくれた。
「昔、私の母もお灸をしてくれました。彼女はいつも、艾の香りが心を落ち着けると言っていました」と私は思い出を語った。
「その通りです。お灸は古くから人々の心と体を癒してきました。その伝統を守り続けることが、私の使命だと思っています」と佐々木氏は微笑んだ。
お灸の温もりが次第に深く浸透し、私は心も体も軽くなるのを感じた。
艾の香りが部屋中に広がり、その香りはまるで時間を超えて、昔の記憶を呼び覚ますようだった。
「ありがとう、佐々木さん。お灸の温もりが、こんなにも心地よいものだとは思いませんでした」と私は感謝の気持ちを伝えた。
「どういたしまして。またいつでもいらしてください。ここはあなたの心の休息の場ですから」と佐々木氏は優しく答えた。
その日、私はお灸の温もりと香りに包まれながら、心の中に新たな平静を見つけた。
現代の喧騒の中で、こうしたひとときがどれだけ貴重であるかを実感した。