東京の片隅にある、誰も知らないような小さな通り。
その先にある古びた建物の中で、僕はお灸の施術を受けることにした。
そこは時代に取り残されたような場所で、薄暗い照明が静かに部屋を照らしていた。
お灸師の女性、名前は沙織。
彼女の存在はどこか神秘的で、日常の喧騒から切り離されたような雰囲気を纏っていた。
沙織は、言葉少なに準備を始めた。
彼女の動きには無駄がなく、まるで儀式を行っているかのようだった。
「お灸は、ただの治療じゃない」と沙織は静かに言った。
「それは魂を癒すためのものなの」
僕はその言葉に少し驚いた。
治療としての効果だけを期待していた僕にとって、魂を癒すというのはあまりにも詩的だったからだ。
だが、沙織の声には力があり、その言葉はまるで古い友人のように心に響いた。
彼女が艾を手に取り、小さな円柱に形を整える様子を見つめながら、僕は心の中で何かが解けていくのを感じた。
沙織は丁寧に火をつけ、お灸を僕の背中に据えた。じんわりとした暖かさが広がり、それは次第に深く浸透していく。
「煙を見て」と沙織が囁くように言った。
僕はお灸から立ち上る煙に目を向けた。
煙はゆっくりと上昇し、部屋の中に淡い香りを漂わせる。
その香りは、どこか懐かしさを感じさせるものだった。
煙の動きを見ていると、時間がゆっくりと流れているような気がした。
「お灸の煙は、心の奥にあるものを引き出すの」と沙織は続けた。
「それは、忘れてしまった記憶や、無意識の中に眠る感情。煙はそれを解き放ち、癒してくれる」
僕は目を閉じ、煙の香りを深く吸い込んだ。
心の中にある重荷が少しずつ軽くなるのを感じた。
まるで、長い間閉じ込められていた感情が、煙と共に解き放たれていくようだった。
沙織は黙って僕の背中に手を置いた。
その手の温もりは、お灸の温かさと一体となり、僕の心と体を包み込んだ。
静かな時間が流れ、僕は心の奥底にある静寂と向き合っていた。
「ありがとう、沙織さん」と僕は静かに言った。
「お灸の温もりと煙が、こんなにも心地よいものだとは思わなかった」
沙織は微笑み、僕に一言も発さずにうなずいた。
その微笑みには、言葉以上の意味が込められていた。
僕はその笑顔に救われたような気がした。
その日、僕はお灸の温もりと共に、心の中に新たな光を見つけた。
煙の彼方には、癒しと希望が待っていることを知ったのだ。