後藤艮山先生は、一気留滞説からお灸を行っていたらしいが、虚証に対して補法という形でやっていたという意見もある。
後藤先生の五極灸法は、背中の5つのツボをあげている。上の大椎と、下の尾骨と、その中間の1穴と、その両側の2指横のところの2穴の計5つである。壮数は多いらしい。
いわゆる米粒大の直接灸は、江戸時代に古方派の後藤艮山先生が考えたという意見もあるそうだ。
後藤艮山先生の場合は、お灸の大きさは麦粒大、鼠糞大などと言われていたようだし、熱くならないようにお灸の底を尖らせて、お灸を斜めに立てて施灸するなどの工夫をされていたようだ。
ツボの数を少なくして、壮数を増やすというのは、千金方にもあるが、補法的な意味合いが強いのかもしれない。
一気留滞説的にお灸を考えると、瀉法というより、気の巡りをよくする寫法ではないかと思うこともある。
ツボを多くとって、壮数を少なくするというのが、瀉法という考え方もあるらしいが、沢田流はどちらかというと、ツボが多く、壮数が少ないような気がする。
そうなると、瀉法なのかという意見もあるのかもしれないが、沢田先生は、灸は慢性病に効くと言っていた。
沢田流灸は補法的なものではないかと思う。